立て看板「七夕の里振興協会」及び、敷地内の掲示を要約すると、
・場所:九州、福岡県小郡市 大崎地区は、縄文・弥生の遺跡がある。明治に60戸300名が暮らしていた村。
・肥前風土記(730年頃)、基肄郡姫社郷の記述に、鳥栖に居た悪い神を懲らしめるため、今の福岡県宗像あたりの人に聞くと、布(仏教の幡)を飛ばして落ちた所に社を作るとよい・・・とかで、媛社神社ができた。
・時代によっては、岩船大明神、磐船神社、棚機(たなばた)神社などと呼ばれていた。現在、七夕神社で売り出し中?
かつて、久留米、博多あたりは絣や織物の産地だったので、生産者、芸事などの詣で客が多かったとか・・・
・祭っているのは、媛社神と織姫神。
・かつては、宝満(ほうまん)川の向こうに牽牛社が祭ってあったが、大正時代に老松神社に合祀された。
・・・など
などと、人の恋路を邪魔してはいけない
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